<茶道具 ミニ解説> 

第1回 竹一重切花入(たけいちじゅうぎりはないれ)

利休 ケラ判 竹の花入は千利休が天正18(1590)年、小田原の陣に従軍した時に陣中で韮山の竹を用いて作ったのが最初であると伝えられている。利休晩年の工夫の一つで、青竹の清らかさ,節の面白さに着眼した意匠で、草庵の茶にふさわしい花入として後の茶人たちにも数多く作られるようになった。
 本作の裾広がりの安定感ある姿は自然の竹の節をうまく生かしたもので、黒みを帯びた艶やかな肌が力強さを感じさせる。背面には、昆虫のケラに似ていることからケラ判と呼ばれる利休の花押が朱漆で書かれ(右側)、利休の孫である千宗旦が添え書きをしている。




第2回 金海洲浜形茶碗
(きんかい すはまがたちゃわん)金海洲浜形茶碗 

 日本からの注文により朝鮮半島の慶尚南道金海地方で作られ、またこの種の茶碗の中に「金海」または「金」の文字が彫られたものがあることからこの名がある。堅手茶碗に似て焼き締まり、また薄手で釉色は白く華やかである。口縁が桃形や洲浜形をしたものや割高台などの形状のほか、猫掻手と呼ばれる鋭い引っかき疵が文様のようにつけられているものもある。
 この茶碗も洲浜形の猫掻手で、胴下部から高台周辺にかけてぽつぽつと雨漏りのような赤みがほんのり現れ美しい景色となっている。高台は割高台ではなく小さめの輪高台となっているが、その分奥ゆかしく控えめで瀟洒な感じをあたえている。


第3回 交趾阿古陀香合(こうち あこだこうごう)交趾阿古陀香合

 交趾焼は中国南部で明代に焼かれた軟質陶器で緑、黄、紫などの色を主調とする鉛釉で彩られる。交趾とは現在のベトナム南部をさし、この地方と日本を往来する貿易船で運ばれたことからこの名が付けられたとされる。型を用いて成形されたいわゆる型物香合で、これは器形が阿古陀瓜に似ていることから阿古陀香合と呼ばれる。器の大きさから大中小に分けられ、また同種のものに角阿古陀捻(ひねり)阿古陀がある。
 この香合は捻阿古陀形でつややかな緑釉の発色もよく、蓋は金箔をはった上に透明度のある朱漆をかけ、透き漆を通して下の金箔が輝くいわゆる白檀塗(びゃくだんぬり)が施されている。
 香合は練香や木香を入れる蓋付の器で、茶道の炭点前の折に席中で香を焚いた後に拝見の対象となり、炭点前が省略される時は床などに飾ることもある。特に色鮮やかで様々な意匠を持つ交趾の型物香合は、その愛らしさから多くの茶人に愛玩された。


第4回 古染付水指(こそめつけみずさし)

古染付水指 古染付とは必ずしも古渡りであることを要せず、今日では明末期に景徳鎮の民窯で特に日本向けに作られたと思われる独特の風趣のある器形や文様をさし、口縁部や稜線部などに「虫喰い」とよぶ釉はげが見られ、茶人には大いに好まれ日本に多く残存している。
 この水指の口はまっすぐ立ち上がり肩から胴の上部にかけてゆるやかにふくらみ、底部は口とほぼ同径の高台に支えられている。胴は五面に線割され、各面には理想郷にたたずむ仙人が軽妙に描かれている。呉須(コバルト)はやや黒味がかるものの鮮やかな発色となっている。蓋は丸枠の中に桃が描かれ丸枠との間にはさや形の文様で埋められており、日本からの注文品として作られた祥瑞の意匠を意識したのかもしれない。また、つまみは前足を立てて座る獅子の姿となっており、民窯ならではの大らかさと独特の風雅な趣が見られる。




第5回 鉄刀木桐蒔絵棗 (たがやさん きりまきえなつめ)
鉄刀木桐蒔絵棗
 鉄刀木(たがやさん)はマメ科の常緑高木で、東南アジア原産。木質部は黒色で重く、美しい文様があり古くから唐木として床柱や工芸品などに用いられる。
 この棗も木地本来の美しさを損なわないよう、透漆がかけられた器表には、平蒔絵による桐の文様があり、金粉だけでなく金と銀の合金から作られた青金粉も用いることで、金一色で単一になりがちな文様に変化を与えている。しかし内部は一転して、金粉が全面に蒔かれた梨地(なしじ)の上に、菊、桔梗、女郎花、すすき、藤袴などの秋草が平蒔絵によって華麗に表されており、内部への描きづらさを感じさせない職人技を見せている。


祥瑞橋杭香合第6回 祥瑞角橋杭香合 (しょんずい かくはしくいこうごう)

 中国明末期に作られた磁器質に藍絵が描かれる染付は、微妙な作風の違いにより区別される。コバルトの発色が不鮮明で黒味ががり、簡潔な文様を表したものを呉須手といい、また胎質の低下により「虫喰い」という釉はげが見られる古染付は、侘びた風情が茶人に賞玩され日本に数多くもたらされた。祥瑞は日本からの注文品で景徳鎮の民窯で焼成されたと考えられ、素地、釉薬ともに精選され、鮮やかな発色に細密な文様が描かれた磁器で、器底に「五良大甫 呉祥瑞造」の記銘のあるものが多いことから称される。祥瑞角橋杭香合は型物香合の一つで、染付の丸橋杭と区別される。角橋杭においても角柱状、面取りした撫四方(なでよほう)、つまみの有無などの形の違いがあり、文様も幾何学文や花鳥文などがある。この香合は蓋と底を丸く削り込み、四つの角も面取りされ、胴の四面には幾何学文、蓋には胴と同様な文様と共に頂部には梅の花が一輪描かれ、祥瑞らしい上品な作行きになっている。



第7回 青磁不遊鐶花入 (せいじ ふゆうかんはないれ)
 青磁は青緑色の釉がかかった磁器で、灰釉陶が母胎となるが中国で焼成技術が発達し、唐代の越州窯の青磁は淡いオリーブグリーンを呈し、当時は天下一と称された。その後、華北の耀州窯など優秀な窯も現れたが、北宋王朝による官窯で澄み切った碧玉に近い絶品を焼き、南宋王朝も修内司と郊壇に官窯を設け、ここに青磁の頂点を形成した。また11世紀には越州窯の系統をひく新たな窯である龍泉窯でも、翡翠色を呈す砧青磁を完成させたが、元時代後期から明時代には濃緑色のいわゆる天竜寺青磁をもって衰退した。 
 日本には龍泉窯の青磁花入が多くもたらされ、古来より茶人の間では砧青磁を最上とした。当館のこの花入は砧青磁より時代が下る天竜寺手の特徴を示す。釉の色は光沢のある緑色で、口から首、胴など帯状に区切られた内部に彫文があり、固定して動かないものの耳には鐶が付けられており、唐銅の大花瓶を思わせる。天竜寺手の名前の由来は、室町時代に京都の天竜寺造営資金を得るため、明と交易していた商船がこの種の青磁を将来したという説に基づいている。

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